山本周五郎 (1903-1967) モノ。
と言えば、真っ先に語りたくなるのは、黒澤明 145「赤ひげ (1965)」
そして 野村芳太郎 136「五瓣(べん)の椿 (1964)」
さらに 岡本喜八 182「侍 (1965)」
いずれも心えぐられる傑作。ほかにも名作ぞろぞろ未見なんですが、上の3本だけでもすべて途中休憩はさんで3時間前後の大作、見応えある人間模様。マニアにすればどれが1番?とかあるのかないのか分かりませんが、この「ちいさこべ」も、充分見応えある1本でした。セットも凄いし主役の 中村(のちに萬屋)錦之助 (1932-1997) の演技は惚れ惚れするくらい最高だったし、江利チエミ (1937-1982) も良かったです。
ただ、心の抉られ方みたいな、ぼく個人の感覚ですがやや弱かったかな?
名門大工の若棟梁・錦之助が川越の豪邸を建築中、江戸から早馬が来て実家が全焼、大棟梁である父と母も同時に喪う報せ。失意の錦之助ですが、年上の部下に命じて自分は現場から離れません。通夜も葬式も出しません。つまり大工として一人前になり家を再興するまでは弔わない!と言って仏壇さえ拝みません。川越の家を建てて江戸に戻ってきた錦之助、実家あたりは焼け野原です。町の者たちが「私たちの家を建ててくれ」と懇願しても心は大きく揺れるのですが、名門大工がそんな安普請はできないと突っぱねます。あくまでも「うちの大工の腕は代々に残る建築物のためにある」という職人のプライドです。
早口で書きましたが伝わりましたか?そうゆうことです。つまり、その職人・大工の技は代々裕福な方の家のために使われ、評価され、職人たちはそれで潤い技術を切磋琢磨してきたという歴史があったわけです。そこに江戸の大火があり、大工は誰のために働くべきなのか?そこに中村錦之助がどう気づき、どんなアクションをしていくのか?それがテーマです。
錦之助、頑固です。だって親が死んでも葬式出さない、あくまでも職人芸を極めるまでは大工とゆう生業を高めることしか頭にありません。親族や、関係者が怒り狂います。通夜も葬式も出さないなんてどれほど親不孝なんだと。
錦之助、徹底的に曲げません。焼け跡に職人たちとの共同生活のために突貫工事で家を建て、そこに下女・江利チエミを雇います。チエミに「仏様を拝まない」ことを諭されても、錦之助曲げません。そんな偏屈野郎ですが、優しくたくましいチエミが、焼け出され住む家も親もない子どもたちをたくさん連れてきたことを仕方なく受け入れます。
しかし大工の仕事も、建てた家を放火されたりうまくいきません。そこで子どもたちを食わせられないので、チエミに命じて子どもたちを処分しろと命じます。この時代、行政の被災者救済などあってないようなものです。チエミたちは役場をたらいまわしにされたあげく、さらに錦之助の怒りを買い路頭にまよい、チエミの旧友で不良浪人の 中村賀津雄 (1938-) の指導でコソ泥稼業に堕ちてしまいます。
この中村賀津雄、私生活では中村錦之助の実弟。だから顔がそっくりで、229「江戸っ子繁盛記 (1961)」監督 マキノ雅弘 で錦之助がやったように一人二役かと思ってしばらく観てました。
それはさておき、江利チエミは子どもたちがそんな悪事で小銭を稼ぐことを良しとしません。ボロ布で指人形を作りあって、路上で人形劇&歌を披露して稼ごうとしますが続きません。
そこまで行って色々あって、ようやく錦之助改心します。子どもたちの家を建てチエミもろとも引き受け、寺子屋状態です。さらにラストにやっと町のため、人のため、大工の腕をふるうことを決意するのです。
錦之助の逡巡、葛藤、演技力すごいです。でもぼくにとって何が抉らなかったかと言えば、やはり子役、子役の演技力なんですね。うまい子もいるのですがおおむね児童劇団のノリだったこと。そしてそれに沿わせるかのような脚本の弱さ。
泣けないんです。貧困の苦しみも弱い。だからこの1本は中村錦之助の凄さを垣間みる以外にあまりなかったことが残念賞。
広島の原爆を被災し、常に病魔と闘いながら、戦後を代表する映画監督のひとり、田坂具隆 (1902-1974) さん、つべこべ言ってごめんなさい。演出、セット、撮影、技術も何もかもすばらしいんだけど、泣きたかった・・・。
ちいさこべ Wiki
キネマ旬報ベストテン 1962 13位
2020年 2月6日
ラピュタ阿佐ヶ谷モーニングショー「昭和の銀幕に輝くヒロイン#93 江利チエミ」で観賞
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