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・・・観賞中に不思議な気分に包まれて。


同じ役者で演ってる観たはずの映画が、微妙に設定・役割が違ってて「あれれ?」そうだったっけ?みたいな感じ。


そもそも 「人生劇場」 とゆうのは、尾崎士郎 (1898-1964)   による原作小説で、尾崎さん自身の体験やらを反映したものだそうです。 Wiki によると ↓ 


人生劇場』(じんせいげきじょう)は、尾崎士郎の自伝的大河小説。愛知県吉良町(現・西尾市)から上京し、早稲田大学に入学した青成瓢吉の青春とその後を描いた長編シリーズ。

1933年(昭和8年)に都新聞に「青春篇」が連載され[1]1959年(昭和34年)までに「愛慾篇」「残侠篇」「風雲篇」「離愁篇」「夢幻篇」「望郷篇」「蕩子篇」が発表された。1935年(昭和10年)に竹村書房から「青春篇」が刊行され、川端康成が絶賛するベストセラーとなった[2]1960年(昭和35年)から1962年(昭和37年)にかけて集英社で「新人生劇場 星河篇」「狂瀾編」が出版された。作品は自伝要素を混じえ創作されたが、「残侠篇」は完全な創作である。その後、尾崎の生前に「望郷篇」までが新潮文庫で全11巻で出版されていた。2008年(平成20年)に角川文庫で「青春篇」のみ、弘兼憲史のイラストによる表紙で新版が刊行。なお角川でも約半数が文庫化され、映画公開に合わせ新版を再刊していた。

この作品を手本としたものに、同じ早稲田大学の後輩である五木寛之の自伝的な大河小説『青春の門』がある。




・・・なるほど。



今までに14回も映画化されたらしいのですが、その映画版元祖的存在が、紹介する巨匠・内田吐夢 (1898-1970)  監督のもので、戦前の1936(昭和11)年に「〜青春篇」を作り、同年キネマ旬報ベストテン第2位とゆうから評価高くあったわけです。

でもそんなこと知らずにいたぼくは、「人生劇場」と言えば、戦後日本映画が発展し、またテレビ時代がはじまり「斜陽」に向うなかで、東映が放った「任侠もの」の原点としての位置づけです。


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187「人生劇場 飛車角 (1963) 監督 沢島忠」 



 ↑ すでに大絶賛したこれ。



この1本があったからこそ、東映は「任侠もの」ジャンルを発展させたこと、それすなわち日本映画の歴史を変えたこと、は、すでにそのレビューでも触れましたが、この1本が「人生劇場」のすべて(元祖)だと勘違いしていたぼくは、そのわずか5年後に作られたこれが、意図するものとかリメイクするべき何かがまったく分からず、つまり別解釈による同じ映画だったからこそ、しかも主役の飛車角役は 鶴田浩二 (1924-1987) だし、彼の女をめぐって因縁になる舎弟は 同じく 高倉健 (1931-2014)  なので、その役柄が微妙に違うのでまるでパラレルワールドかこれ?と混乱した次第。

ストーリーはほぼ1963年版と同じ。でもそもそもの元祖だった内田吐夢監督からすれば、この1968年版が戦前に撮ったものの続きになるわけで、新解釈とゆうより彼にとっては(また彼に撮らせたプロデューサーからすれば)これが正統なる続編と言うべきなのか、でも混乱するのは63年版の完成度・評判が高く、しかもその主役二人が同じ役柄で出演していること。

うーん、なんで今更?

これが正直な思い。

でも、ビデオもDVDもない時代、ウケた映画は最上映するより最製作という風潮があったのだろうし、劇場に客を呼び込むためにはトップスターの起用は不可欠なわけで。しかも63年版は同年のキネマ旬報ベストテンでは実は30位圏内にも入らず、でこの68年版は堂々の9位ランクインですから。



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歌手としてもいい味出してた鶴田浩二。耳を押さえながら音程をとって歌う姿、子どものぼくの記憶に残ってます。 



タイトルバックに流れる楽曲はもちろん「や〜る〜と思えば〜どこま〜で〜やるさ〜」の ♪ 人生劇場 ですが、歌うのは63年版・村田英雄ではなく、鶴田浩二です。そして主役の飛車角を演じるのもつるちゃんです。組同士の抗争に打って出て刑務所に入るつるちゃんですが、愛するおとよさんがその後、知らぬまま結ばれてしまうのがつるちゃんの1番舎弟である宮川、演じるのは同じく高倉健で、つるちゃんの出所後、健さんはヤクザとしては許されない「兄貴分の女を寝取った」ことにけじめを付けようとします。そうゆう流れはまったく同じなんですが、このけじめの付け方、それぞれの役柄の微妙な違いが観ていて混乱もしましたが、そこはさすが巨匠・内田吐夢ですから、人間模様の深さは確かにありました。面白かった。



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運命の女・おとよを演じるのは63年版・佐久間良子とは違って、藤純子 (ふじ・すみこ:現・富司純子 1945-)    この年から ↑ 緋牡丹博徒シリーズで バリバリ演ってましたのでつるちゃん、健さんの間で見事な女っぷり魅せてくれます。

と、ここまで書いて、冒頭に「人生劇場」は小説家である作者・尾崎士郎の自伝的作品としましたが、尾崎さんはヤクザではないのでぶっちゃけあんまり関係ないのです(笑)。

このレビューをあなたがもし読んで、興味をもって観てくれるのなら、を踏まえて少し説明(ぼくの理解は足りないかもしれませんが)しておきます。 

未読ですが原作はそれを書いた尾崎士郎を反映した青成瓢吉(あおなり・ひょうきち)という青年が、小説家として大成する(のかどうかは知らんけど)過程においての成長物語だと思われます。その
瓢吉くんがどんなヤツでどんな苦難を乗り越えて、は「〜青春篇」とかで描かれていたのでしょう。

なのでこの映画、および63年版は「〜任侠篇」となるのですが、これ実は Wiki で調べる限り、原作には(少しはあったかもしれませんが)映画版の創作らしいのです。 瓢吉くんは小説家になるにあたって老俠客・吉良常(きらつね)に今までお世話になってました。ある夜、瓢吉くんの家を久しぶりに訪ねた吉良常は、そこへ逃げ込んでくる飛車角=鶴田浩二と遭遇し、彼の俠客としての人間性に惚れ込み、組のために自首し刑務所暮らしをするつるちゃんと交流を始めます。



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吉良常さんは、寡黙で多くを語らない刑務所暮らしのつるちゃんに度々面会し、おとよさんの消息や組の抗争の状況を調べて教えたりもします。 それを聞かされた瓢吉くんも飛車角の人柄に惚れ、それを小説に反映したりします。「〜任侠篇」における瓢吉くんの役割はこれくらいで、あとはヤクザ同士、そしておとよさんとの愛憎物語とゆうわけです。 飛車角こと鶴田浩二の行動に、吉良常の思いや生き様が重なっていくので、タイトルはこの二人をフューチャーしているのですが、あくまでも物語はつるちゃん×おとよ×健さんの人間関係がメインです。


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吉良常を演じる 辰巳柳太郎 (1905-1989)  




63年版では、兄貴の女を愛してしまった健さんが、鶴田浩二の前で土下座して「この指をぜんぶ落としてくれ!」に対してつるちゃんは「指を落としておまえ、おとよを幸せにできるのかい」と諭し去って行く海辺のシーンが鮮烈でした。68年版でも同じ関係性ですが、健さん先に指落としてからつるちゃんにそれを差し出し叱られるとか、役者が一緒だけに対比して観ると面白いなと、観賞後あらためて思い直しました。

よし、もう一回観よう!




キネマ旬報ベストテン 1968  9位




人生劇場 飛車角と吉良常 Wikipedia




優秀レビュー






2020年 9月11日
東映チャンネルで視聴



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小金(こきん)一家です。