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監督・大島渚 (1932-2013) は、デビュー3作目の 290「青春残酷物語 (1960)」 つづくこの「太陽の墓場」そして未見ですが、公開4日後に松竹によって公開中止となった「日本の夜と霧 (1960)」 この3作品が大島渚を「ザ・大島渚」とする核みたいなものだと、どこかで読んだ記憶があります。 ぼくが物心ついたころには、すでにテレビの(今で言う)コメンテーターとして毎日のように顔を見たし、日々のニュースで怒り狂ったパフォーマンス(本心なんだろうけどそれがテレビだけにかなり)でおなじみでした。

でも一体何を撮ったのか?何を訴えたのか?何を残したのか?、末席の末席ですがぼく自身も監督業に進んだのに、長らく知らずにおりました。このあたりのことに関してはすでに 290「青春残酷物語 (1960)」 や 236「飼育 (1961)」 の稿で書きましたのでやめときますが、監督怒ってるんです、とにかく怒ってる。

その怒りが、1960年現在のニッポンに鋭く向けられている。  ↑ デビュー間もない3作品に、社会に、大人に、人間に、怒りの固まりをぶつけて「問う」ているのです。



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何より舞台が凄い。 大阪の釜ヶ崎です。室内セットシーンは当然ありますが、大胆にも本物の「釜ヶ崎」でロケしているのです。 「かまがさき」に関しては 114「スクラップ集団 (1968)」  監督 田坂具隆 の稿でも軽く触れましたが、社会の底辺の掃き溜めみたいな場所です(昨今のコンプライアンス的なことで言えば、掃き溜めなんて表現はNGだと思いますが、大阪出身者としてそこは正直に、身をもって感じるところなのでそうさせていただきます)。 誰もが認めるそのような環境、日雇い労働者があふれ治外法権のような場所にも庶民の生活はあるわけで、そこに逃げ込むものとそこから抜け出そうとするものが渾然と、いえ混沌としているわけです。 ならばそれがなぜ産み出されたのか? 発展するニッポンの影、政治は社会はそれに対して無力であり、今で言う「暴走族・不良」の当時代名詞だった「太陽族」たちの反撥や、日米安保条約反対と叫ぶ学生運動のエネルギーでさえも「本当に日本は歪んだままで良いのか?」「戦争をしたのはなぜか?」「負けたのはなぜか?」「アメリカに同調するのはなぜか?」「日本人とは?人間とは?」様々な問いかけ、いえ「怒り」がフィルムにぶつけられているのです。 太陽族の太陽を取って、その「墓場」とする暗喩も推測できるわけです。



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 ↑ アニソンのレジェンド、佐々木功 (1942- :現ささきいさお)  が俳優として主演デビューした(当時18歳)作品でもあります。



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さらにグラマラスな肢体で60年代に活躍する ↑ 炎加世子 (1941-)  の主演デビュー作でもありました。炎さんは70年代以降消息不明とのこと(悲)。


この若い二人が怪しい関西弁で熱演です。 当時本当にあったとゆう「売血(ばいけつ)」で収入を得る炎加世子、社会の居場所をなくしてチンピラ入門した佐々木功、そこにチンピラたちをまとめる頭領的な立場で、のちの名優・ ↓ 津川雅彦 (1940-2018 :写真別)   が絡みます。


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若っ!



津川さん、兄の 長門裕之 (1934-2011)   と同じく子役出身で演技経験長いはずなのに、他でもその都度書きましたが、ぼくには大根に映る(笑)。若さとイケメンぷりが、役柄の苦悩とかに合ってない気がするのです。 

それはさておき、この3人に地元を本当に仕切るヤクザが絡み、若き3人は生きるか死ぬかに追い詰められつつ、食わんがために人を殺したりヤバい仕事に手を染めていくわけです。そしてどこまで行ってもどん詰まり、どんよりしたまま終わります。

内容に関してうまく書けません。 混沌と言いましたがそのまんまです。人間関係、対立関係、何もかもぐちゃぐちゃにごった混ぜのまま正直、よく分からないまま突っ走って終わりです。大島監督の別の稿でも書きましたが、戦後から1960年に至る流れ、そしてその時代なうを理解していないと本当のところは伝わらない気がします。 平和に(きっと監督からしたら安直に安易に怒ることなく流されて生きている)ぼくや、現代の感覚で観ると付いていけないところが多いです。 ぼくももっともっと観て、学習してレビューしなければと反省。


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脇を固める名優たち含め、出演者全員汗だく(当然メイクでしょうが)で、常に汗をまとって泥まみれになりながらの演技、映画公開翌年に労働者とヤクザとの対立から発生したと言われる 西成暴動(釜ヶ崎は大阪市・西成区にあります) 以前の、リアルな釜ヶ崎がたっぷりフィルムに焼き付けられている歴史的価値。 大島監督が伝えたかったモノ、その本質が理解できていなくても、そのエネルギーだけはぐいぐい伝わってきました。 また機会があれば再見したいです。




キネマ旬報ベストテン 1960  11位
(ちなみに同年の「青春残酷物語」は18位、「日本の夜と霧」は10位)




ロケ地~歴史的考察 秀逸レビュー

https://yonezawakoji.com/taiyonohakaba-osaka_part1/


時代を踏まえた秀逸レビュー

https://ameblo.jp/runupgo/entry-11451821414.html






2020年 12月17日
神保町シアター「松竹映画100周年 ”監督至上主義”の映画史」で観賞



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あの頃映画 太陽の墓場 [DVD]
川津祐介
松竹
2012-12-21