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しあわせな映画♡




でもネタバレ結論から言うと、貧しい最下層な男がラストで「大出世」ではなく「大逆転」です。が、その原因がなんだかな〜なので、フツーにこれ作ったら「おいおいそれはあかんやろ!」と突っ込み入れたくなるところ。 でも、許せるんです。そんな不思議に幸せな気分にさせられた1本でした。

主人公はデビュー2年目、10作品目出演の 吉永小百合 (1945- 当時16歳)   ではなく、その父・ 小沢昭一 (1929-2012)  です。 この方、今までも触れてきましたが「脇役」として無数の小市民を演じ、時に笑わせ泣かせ、そしてどーして主演作でも素晴らしいのです。 真っ先に思い浮かぶのはこれ、



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122 「競輪上人行状記 (1963)」監督 西村昭五郎 

寺の跡取り息子の小沢昭一が競輪の罠にはまり、人生破滅を繰り返してラストに解脱するという物語。(詳しくは振り返りませんのでお時間あれば是非 ↑ クリックしてお読み下さい)大傑作。 


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240 「越後つついし親不知 (1964)」 監督 今井正



誰にも一目置かれ実直な人柄ゆえに、サイテーな男・三國連太郎の(ほんと思い出しても吐き気がするほどの)行為によって人生の歯車を崩壊させていく小沢昭一。これまた傑作。



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128 「経営学入門 ネオン太平記 (1968)」監督 磯見忠彦 


昭和40年代の大阪風俗店。キャバレーのマネージャーとして、そこに命も体も張ってホステスたちを鼓舞し、街やメディアの撲滅運動にもヤクザの放火にもひるまずまっしぐらだった小沢昭一も記憶に深く残ってます。


他にもありますが、全然男前じゃない、だから観ているわたしたちと同じ延長線上で存在しているような、善行も悪行も葛藤も怒りも涙も笑いも、他のスタア(映画俳優)が演じるものとは違って親近感があることが胸にせまってくるのです。 まるで隣のおっさんの失敗や成功を間近で見ているようなかんじ。



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ここでの小沢昭一はある印刷工場専属の「くず屋」。戦後の混乱のなかから15年間無遅刻無欠勤で、日々大量に出る紙くずを一手に処理し、同時に工場内の雑用や使い走りなんかも引き受け、時にはお金を貸したりもする人が良すぎるほどの男です。 卑屈にも見えますが、彼はその仕事に誇りと(戦後焼け跡の時に自分を拾ってくれた工場への)感謝の気持ちを持っています。だから誰からも愛されているのです。 妻とは死別しています、きっと家は独り暮らしで淋しく寡黙なんだろうと思いきや(寡黙は寡黙なんですけど)、こんな可愛い娘がおります。



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ちょっとずるい(笑)。



さらに元気で礼儀正しい3人の弟たちもおります。つまり、男手ひとつで4人の子どもたちを(グレさせず清廉潔白に)育てているのです。 工場で出た大量のクズをリヤカーいっぱいに詰めた父・小沢さんが、重いリヤカーを引きずるようにして川沿い(たぶん隅田川)の土手道を行きます。そこに下校してくるセーラー服姿の吉永小百合ちゃんが「お父ちゃーん!」と満身の微笑みで駆け寄ってきます。いくら父親がみすぼらしいなりでも、小百合ちゃん引け目なんてありませんし、友達たちもニコニコで見ております。 そんな小百合ちゃんにアタックしてくる男子(1名だけか?なわけないだろうけど)が、デビュー4作目でまだ「新人」とクレジットされ、ご存知のとおり以降山ほど小百合ちゃんと共演し、日本中の男子から羨望されることになる 浜田光夫 (1943-)  。



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この二人の(今どきの高3とは全く違う)ピュアでうぶすぎる恋愛はややすれ違いがあります。小百合ちゃんは「くず屋」の父をリスペクトしているにも関わらず、アタックしてくる浜田光夫(実は印刷工場社長の息子)にこう言います。

「あなたとわたしでは身分が違いすぎるからダメよ」

ここでまた結論を先に言いますがラストで大逆転、小百合ちゃんの父が社長になるのでラストの二人の会話も立場が逆転するとゆうこと。二人の恋はすれ違いのまま終わりです。

小沢昭一にも浮いた話が生まれます。 122 「競輪上人行状記 (1963)」監督 西村昭五郎 の終盤で(そういえばこれも大逆転話)素晴らしい競演をした(思い出しても鳥肌モノ) 渡辺美佐子 (1932-)  。彼女は中古の洋服やアクセサリーを仕入れて訪問販売する役柄で、印刷工場の休憩時間に来ては工員たちに物を売り生計を立てている出入り業者なんですが、小沢昭一とは常に反目し喧嘩しながら、いつしかそれぞれ惹かれ合い、母親不在の4人の子どもたちも美佐子♡になっていくという流れ。



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左から小百合ちゃん・小沢さん・美佐子さん・光夫(呼び捨て笑)。




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渡辺美佐子さん、老いてなお美しい、色気を感じます。



ところで「くず屋」という職業。今で言う廃品回収業(回収して換金)という認識で良いと思うのですが、やはりイメージとして下層です。当時の映倫的なコンプライアンスは知りませんが、くず屋同士の縄張り争いとか「たかがくず屋風情のくせに!」みたいな台詞、今では無理でしょう。 ゴミ収集車が当たり前の現代ですから、背中に籠を背負って街を徘徊してゴミを拾うその風景は1970年代なかばくらいまでは日常だったろうし、ぼくが見てきた映画でも結構多くありました。 1番古いもので 110「人情紙風船 (1937)」監督 山中貞雄 で描かれる江戸時代の長屋噺。暗い重い名作の前半で、喜劇映画特有な白塗りメイクのくず屋3人組が道化的に笑かせるシーンを思い出しました。




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かつて個人的に(職業的に)脚本を勉強してきたときに、絶対使ってはならないルールのひとつを思い出しました。専門用語を忘れてしまったので例えば、苦境に陥った主人公が映画のラストで実はスーパーマンだったみたいな、脈絡なく実は全知全能だったみたいな禁じ手です。 この「大出世物語」では印刷工場の社長が不渡り手形を出してしまい、一千万円を用意しなければ会社がつぶれる事態に追い込まれます。そこにくず屋衣装ではなく、スーツ姿の小沢昭一がやってきて「今までの感謝の気持ちです」と一千万円の小切手を持ってくるわけです。 まったく脈絡がなかったわけではないのでルール違反ではないとも言えるのですが、実は小沢さんくず屋で得た収入を株式投資してまして、貯金あったとゆうこと。前半に2回ほど、ラジオから流れる株式情報を聞きながら株式欄をチェックしてたそう言えば。

そう言えば、なんですけど、ね・・・。



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日活公式サイトによると、ロケ地は江東区・亀戸周辺とのこと。見渡す限り平地です。軍需工場もあっただろうし焼け野原を開墾する途中の風景。土が掘り返されそれが山のようになって、子どもたちがそこで遊んでます。 現在、そこには高層ビルが乱立しているだろう、もう二度と戻れない昭和の景色もたっぷり楽しめました。

最初に書いたとおり、役者のアンサンブルが良く、本当にこころが幸せになるような1本でした。とゆうことで強引なラストも許しましょう〜



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これを書いてから、監督の 阿部豊 (1895-1977)   に関して調べてみました。手元にある1977年発行の「キネマ旬報 日本映画監督全集」では2ページに渡り詳細に。この方、戦前にLAに渡り、ハリウッド創世期のレジェンド、セシル B デミル監督や、日本人初のハリウッドスター ・早川雪舟らと活動し、役者「ジャッキー阿部」として、またハリウッドの映画システムを学んで帰国、「よーい、はい!」ではなく「キャメラ!アクション!」と本場仕込みの演出で、山のようにヒット作を連発してた方なのです。 しかし戦時中は戦意高揚の国策映画を作らざるを得なかったり、また得意としたお色気喜劇などが封印され、不遇の時代をすごしたそうです。 この「大出世物語」を撮った同じ年にもう1本監督し、それで引退したと資料にありました。 なるほど、不思議な幸せ感、グロくなくスマートな印象を受けたのはそうゆう監督だったからなのか。今後も掘っていきたいと思います。





キネマ旬報ベストテン1961 選外





日活サイト

https://www.nikkatsu.com/movie/20509.html


素晴らしいレビュー(こうゆうのを書きたい)

https://ameblo.jp/runupgo/entry-11459744602.html


確かに、アゲインストなレビューも一理あり

https://mukasieiga.exblog.jp/20184898/


Youtube(本編)

https://www.youtube.com/watch?v=EJkLkCmlkXg





2020年 12月29日
ラピュタ阿佐ヶ谷「日活映画を支えたバイプレーヤーたち」で観賞




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原作あります。



大出世物語 (1980年) (角川文庫)
源氏 鶏太
角川書店
1980-11T