このサイト(旧「発掘!日本映画〜)を開設して以来、ブログを書くときには、自分で撮ったりする写真や資料が少ない場合、調べて他人のサイトや関連するところから写真を拝借したりしているのですが(過去の投稿ではいつの間にかそんな写真の多くが削除されてしまっていますが)、今回、ひとつのサイトをのぞいてこの映画に関するポスター画像、スチール写真などが無い状態。 唯一あったサイトも画質が悪いので今回、初めて「無写真」で書いていこうと思います。

あ、原作本(昭和15年当時)の画像を見つけたので貼っておきます。


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「煉瓦女工(レンガじょこう)」


昭和15年の製作ですから、戦争に向けて国家・公安による統制が厳しく、この映画ももちろん検閲を受け、擁米思想とか反日思想がないかなど厳しく見られて、実は当時、公開がお蔵入りになったそうです。劇場公開されたのは戦後、1946(昭和21)年だったという話です。 ということを知らずにぼくはただ大好きな監督 千葉泰樹 (1910-1985)   の作品ないかな〜と youtube を漁ってたどり着いたわけです。

鑑賞して、どうして検閲に引っかかったのか? 大体調べると、当時を知る方たちのレビューなんかにたどり着くのですが、今回はネット上では見つけられませんでした。 が、この映画が孕む当時の日本、市井の人々の貧しい暮らし、不景気と病気と向き合いながらわずかな希望を探っていく様、上映時間わずか60分間の中におそらく「リアル」が詰め込められているからこそ、上映禁止になったのではないか?と思いました。 映画=娯楽より、映画の中に国策である「一億総火の玉」を煽る内容がなければダメだったのでしょう。 

舞台は横浜・鶴見に存在した、ボロボロの長屋。そこで肩寄せ合うように暮らす数組の家族たちの日常や関係が淡々と描かれていきます。貧しさ、わずかな稼ぎも酒に消す旦那、夜中まで内職に精を出す母、避妊なんて意識がない時代だからそれでも子どもは産まれ、年長の子どもたちは赤子を背負って子守をし、夜になれば隣家の諍いを子守唄みたく聴きながら明日を迎え・・・そんな、暗い重い1時間です。

かつて旅芸人として一世を風靡したものの、今は落ちぶれた浪曲師、演じるのは昭和を代表する「声」つまり今でいう「声優」の元祖と言っても良い 徳川夢声 (むせい1894-1971)  。(ぼくの子供心に記憶していた夢声さんの、生きて動く姿を久々に観られたことは感激)夢声は仕事もなく、内職する妻に滞納する長屋の家賃をせがまれ仕方なく、路上で浪曲を演じます。聡明快活な一人娘は町中にポスターを貼り「広場で浪曲会開催中〜」と叫びながら宣伝します。 浪曲会が終わり、三味線を弾いていた妻がお盆を持って聴衆の周りに行きますが、ほんのわずかな投げ銭しか得られなかったようです。 夕暮れ時、聴衆たちが去って行きます。夢声と妻の肩を落とした後ろ姿、ここに例えば「やっぱりあかんかったな」みたいな台詞はありません。その後ろ姿で全てが伝わります。 翌朝、彼らが住んでいた長屋の一室はもぬけの殻、夜逃げしたわけです。

この映画で引退し、黒澤明の妻になったという 矢口陽子 (1921-1985)  が出演していました。彼女の家も貧しいのですが、陽子ちゃん、たくましく明るさを忘れず生きています。同級生だった、先の浪曲師の娘がいなくなって寂しかったおり、教室に在日朝鮮人の女性が転校してきました。二人は(教室には年下の男子しかいなかったこともあり)すっかり意気投合し、陽子ちゃんはさらに貧しい朝鮮部落を訪ね交流したりします。 このシチュエーション、正直びっくりしました。 この時代の映画でわずかとはいえ(語弊のなきようあえて書きますが)最下層な職業とされた「クズ拾い」「屠殺」などを営む朝鮮部落に、若い日本人女性が出入りするシーンを入れるなんて、「差別」は絶対的に存在しますが、この映画ではそこを突くのではなく、リアルに生きる人々の交流もきっとあったことを伝えてくれるのです。 終盤で朝鮮人の彼女は同郷の士と祝言をあげます。狭い家での宴に、幼子を背負った陽子ちゃんも参列します。祝言はもちろんチマチョゴリを着て朝鮮式です。

5人も6人も幼子を抱え、旦那は仕事に行き詰まって半失踪状態、病弱な母は無理をして働き倒れ死にました。亡骸を前に長屋のみんなでお経を挙げている所に、失踪していた父親が戻ってきます。子どもたちも誰も彼を責めません、男もただ嗚咽するのみです。 貧しさと仕方がない現実、受け入れるしかないことを皆がわかっているのです。

ラスト、立ち直って仕事を終えて帰ってきた父親を、たくさんの子どもたちが出迎えます。みんな笑顔でカメラに向かって走ってきます。ほんのわずかの、しかしかけがえのない「希望」を感じさせて「終」。

当時30歳、戦前からたくさんの良作を撮ってきた監督・千葉泰樹の演出力に感嘆。さすがだなと唸りました。台詞を極力抑え、役者の所作や空間で物語る、そこにリアルを出しすぎたのでしょう、反日的とかではない理由だと思いますが、映画全体を包む昭和15年当時の時代感が、反戦的と捉えられたのかもしれません。 でも戦後公開されたこと、そして当時ここまで踏み込んで作られた映画があったことに驚きと感謝の気持ちです。

最後に、映画に出ている名優たちの数が半端なく、それぞれが皆若くピチピチしてた頃の姿を観られたのも収穫でした。




キネマ旬報ベストテン 1940 (公開されていないのでランク外だけど、当時どんな映画がランクインしていたか?で時代が伝わります)




キネマ旬報ベストテン 1946 選外

















2021年 9月12日 Youtubeで鑑賞




Youtube フル動画(画質・音質良し)







原作本